「草野球の窓」
第12章
「インフルエンザ」

 我々が単純に「風邪」と呼んでいるものは、多くはインフルエンザ症候群であり、その原因となるのはインフルエンザウイルスです。このウイルスのために試合に出られず悔しい思いをした人は少なくないかと思います。あるいは選手が減って試合そのものがなくなってしまったという例もあることでしょう。草野球的にもこのウイルスは「敵」であり、憎い存在です。
 ほとんどの草野球人は風邪をひいた経験をお持ちでしょう。その対処の仕方は人それぞれです。基本的には体内に入り込んだインフルエンザウイルスを直接撲滅するのではなく、ウイルスによる症状を緩和するという「対症療法」が実施されます。この章ではインフルエンザ症候群の対処についてではなく、インフルエンザウイルスの疫学的特徴について述べます。草野球人の楽しみを奪うインフルエンザウイルスとはどんなやつなのか知っておきましょう。

インフルエンザウイルスの種類
 インフルエンザウイルスには、A型・B型・C型の3種類があります。このうち、これまで世界的に大流行し、多くの人命を奪ってきたのがA型ウイルスです。よくインフルエンザウイルスは変異を起こすと言われますが、最も変異を起こすのがA型ウイルスで、B型の変異は少なく、C型はほとんど変異を起こさないと言われます。
 インフルエンザウイルスの表面には、ヘマグルチニンとノイラミニダーゼという2種類の抗原があり、それぞれで表現されます。A型ウイルスの場合、Hには13種類、Nには9種類あり、このHとNの組み合わせを変えることで、いとも簡単に変異するわけです。20世紀初めのスペイン風邪はH1N1、20世紀中期のアジア風邪はH2N2、香港風邪はH3N2であることがわかっています。1977年から1991年にかけて調べた日本国内のインフルエンザ流行を調べてみると、A型ウイルスのH1N1、H3N2とB型ウイルスの3種類のインフルエンザウイルスが全国的流行を繰り返し起こしています。C型ウイルスは全国的な流行は起こさず、地域限定の流行にとどまるようです1,2)

なぜ免疫が働かないのか
 我々は病原体に対して免疫能を持っているため、通常であれば一度罹った感染症に二度罹ることはありません。麻疹やおたふく風邪はインフルエンザウイルスに非常によく似たウイルスですが、やはり二度罹ることはありません。ではなぜインフルエンザウイルスにだけは何度も罹ってしまうのでしょうか。これは上述した「変異」という現象と関連があります。
 インフルエンザウイルスが起こす変異には、HとNの組み合わせが変わる変異(抗原シフト)と、Hの一部分やNの一部分が変わる変異(抗原ドリフト)の2種類があります3)。野球的に表現すると、Hを投手、Nを捕手と仮定した場合、投手や捕手が選手交代するのが抗原シフト、投手はそのままで投げ方が変わったり、捕手はそのままで配球が変わったりするのが抗原ドリフトと言えます。どちらにしても打者は攻略法を変化させねばなりません。
 このようにインフルエンザウイルスは打者を翻弄する術を備えているため、打者である我々の免疫能が対応しきれないため、インフルエンザウイルスに“打ち取られて”しまうわけです。しかし、変異が起こらなかった場合、少なくともA型ウイルスについて27年間は免疫能が持続することがわかっています4)。ただしC型ウイルスについてはそもそも免疫が成立しないのではないかとも考えられています2)

インフルエンザ流行の歴史
 インフルエンザ症候群の歴史は古く、紀元前412年のヒポクラテスの記述の中にそれと思われる一文があるといいます。中世イタリアではこの病気は天体が原因と考えられていました。1504年に流行したとき、「天体の影響」という意味で“インフルエンツァ”と呼ばれたのが語源です。日本でも「源氏物語」に“咳逆”と記述されています。1890年(明治23年)の大流行の時には、新たに“流行性感冒(流感)”という名称が付けられました1)
 インフルエンザの大流行の中でも、最大は1918年のスペイン風邪で、全世界で約3千万人が死亡しました。日本でも死者38万9千人を数えました。スペイン風邪の後も、アジア風邪(1957年)、香港風邪(1968年)、ソ連風邪(1977年)と、世界的大流行は続きますが、これらは上述の「抗原シフト」によるものです。ソ連風邪はスペイン風邪と同じH1N1型でしたが、スペイン風邪から60年近く経っていたため、ほとんどの人がH1N1の免疫を持っていなかったため大流行になってしまいました。
 大流行と大流行の間にも小流行が毎年のように発生していますが、これらは「抗原ドリフト」によるものと言えます。

インフルエンザウイルスはどこからやってくるのか
 世界中で大流行を起こすインフルエンザウイルスは、大流行を起こす前まではいったいどこに潜んでいたのでしょうか。スペインや香港やソ連などの地名が付いていますが、実はそれらの起源は中国であることがわかっています。なぜ中国なのか? それは中国が世界最大のカモの産地であることが関係しています。

 インフルエンザウイルスは、ヒト以外の動物にも感染する人畜共通感染病です。スペイン風邪の際、アメリカで豚が一斉に風邪をひいたことが記録されています。1979年、アメリカ東海岸で大量のアザラシが死んだ原因もインフルエンザであることがわかりました。つまり、世界中のいろんな動物がインフルエンザの感染源となりうるわけです。
 この中でも特異なのがカモで、通常インフルエンザウイルスは肺や気管支などの呼吸器に感染し増殖しますが、カモの場合は腸の中で増殖します。カモ自体は何の症状も起こさず、ひたすらウイルスが大量生産され、糞とともに排泄されているわけです3,5)。おそらくインフルエンザウイルスは、カモの腸の中でぬくぬくとシフトとドリフトを繰り返し、世界中に飛び立っているのでしょう。カモは渡り鳥ですから、中国からシベリアへ渡り、その後、西へ渡ればヨーロッパに、東に渡れば日本にインフルエンザウイルスが運ばれることになります。1996年北海道でH5N4、1997年香港でH5N1、1999年同じく香港でH9N2型のインフルエンザウイルスが発見されました。このうち97年のH5N1は病原性が強く、カモからニワトリに伝播し、その後ヒトが感染して幼児6人が死亡しました。この時、当時の香港行政府は約160万羽のニワトリの殺処分を英断し、大流行の阻止に成功しています。
 2004年3月、日本でもH5N1型鶏インフルエンザウイルスにより、多大な畜産被害(鶏13万羽)が生じましたが、現在も世界中で散発的に被害が生じています。

ワクチンは効かないのか
 かつては学校でインフルエンザの集団予防接種が行われていましたが、1987年から強制ではなくなりました。その後、1994年の予防接種法改正でインフルエンザが予防接種の対象疾患から外されたため、予防接種したい人が病院で接種を受けるという今の形式になりました。この背景には、“インフルエンザワクチンはあまり効かない”という意識が高まってきたことがあります。しかし、1992年の調査結果では、A型ウイルスについては67.5%、B型ウイルスについては43.7%の防御効果があったとされています6)。また、かつては学童の集団接種で発生した脳症は、インフルエンザワクチンの副作用だと思われてきました。しかし、ワクチン離れが進んだ現在でも多数の脳症が発生していることから、これは間違いであることが明らかとなりました。インフルエンザワクチンについては、その意義を再確認しなくてはならないようです。

 しかし予防接種法からインフルエンザが外れたことで、国内のワクチン製造メーカーがワクチン製造設備を縮小し、またウイルス培養用の鶏卵も製造されなくなったため、将来、緊急にワクチン需要が増したとしてもほとんど対応できない状況になってしまいました。この状況に警鈴を鳴らす研究者は少なくありません。鶏卵を用いたウイルス増殖方法の代替として、培養細胞によってウイルスを増殖させてワ クチンを製造する方法の研究も行われています7)

 大流行の時は別にして、そうでない場合の風邪に対する認識について、あくまでも私個人の見解では、健康な人が予防策に苦心するより、風邪に罹った人が他人にうつさない苦心の方が優先されるべきだと思います。他人にうつしそうなことがわかっていながら、何の対策もとらずに本当にうつしてしまったら、それは傷害罪に等しい...大げさですがそのぐらいの認識が必要でしょう。

(初版2002.5.5)
(改訂2003.2.21)
(改訂2004.3.11)
(改訂2008.5.28)


【参考資料】
(1)「インフルエンザ流行史とインフルエンザ発見史」, 清水一史, 日本臨床, 55巻10号, 1997
(2)「A型,B型,C型インフルエンザウイルスのウイルス学的,疫学的ならびに臨床的特徴」, 松崎葉子ら, 日本臨床, 55巻10号, 1997
(3)「現代ウイルス事情」畑中正一, 岩波書店
(4)「インフルエンザウイルスの抗原性変異のメカニズム」, 清水一史, 日本臨床, 58巻11号, 2000
(5)「新型インフルエンザウイルス出現のメカニズムとその予防対策」, 喜田宏, 日本臨床, 58巻11号, 2000
(6)「インフルエンザワクチン予防接種の問題点と今後の課題」, 神谷斉, 日本臨床, 58巻11号, 2000
(7)Immunogenicity in BALB/c mice of Reverse-Genetics Avian Influenza H5N1 virus cultured in mammakian cells.,Wilai Thongdeejaroenら,第55回日本実験動物学会総会講演要旨集, p159, 2008


<<第11章「スポーツ貧血」 「草野球の科学」メニュー 第13章「日焼け」>>


〔**トップ** 〕/ リーグ名簿チームリンク集草野球資料室草野球フォーラム「まるドの目」
「くまの穴」「草野球の科学」「マネージャーの声」「拝啓 新興チーム様」** ログイン**