「草野球の窓」
第24章
「ドーピング」
(2)禁止薬物の概要

 
前章ではドーピングを防止するための社会的活動の現況について触れました。特に日本においては国ぐるみでの体制が整ったということもあり、2016年の東京五輪をにらみながら、アンチドーピング活動が急速に拡大していくのは間違いありません。その普及には、「なぜいけないか」と「なにがいけないか」を知ることから始まります。この章ではこの二つの概要について触れます。

禁止薬物の種類
 さてドーピング物質として禁止されている薬物にはどのようなものがあるでしょうか。これはWADAの世界ドーピング禁止規程の中で禁止表国際基準としてリスト化されています1)。(JADAで日本語版が公開されています。)
 これを具体的に見ていくと、難しい薬物名がずらりと並びますから、ここでは概要を理解する程度にしておきたいと思います。

 まずは、いつ使用してはいけないかで大きく二つに分類できます。

A.常に禁止されるもの
   競技会の有無に係わらず、日常生活においても制限されるものです。蛋白同化薬、ホルモン物質およびその拮抗薬、利尿薬が主に挙げられます。また薬物ではありませんが、血液ドーピングもここに含まれます。血液ドーピングとは、平たく言えば酸素運搬能力を上げる目的で行なう輸血のことです。
B.競技会の時に禁止されるもの
   競技会の時だけ禁止されるもので、興奮薬麻薬糖質コルチコイドなどが主に挙げられます。糖質コルチコイドは前章でも触れたように、禁止されるのは経口摂取また注射による場合だけで皮膚に塗るのは対象外です。

 ドーピング検査には競技者の尿を使いますから、基本的に尿中に排泄される薬物が対象となります。しかし、血液ドーピングの場合、血球は尿中に排泄されませんから検出が不可能です。これを補うために、2002年のソルトレークオリンピックで初めて血液検査が実施されました。(このとき、アルペン競技の3選手が失格となっています。)

 次に作用によって分類してみます。すべては分類しきれないので主なものに限ります。

A.肉体に直接働いて運動能力を高めるもの
  蛋白同化薬
 蛋白同化とは蛋白質を合成する作用のことをいいます。平たく言えば筋肉増強剤です。これは単に筋肉を強くするだけでなく、痛めた筋肉の回復を早めるという目的もあります。
 体内において代表的なものは男性ホルモン(アンドロジェン)ですが、これは総称で成分名ではありません。成分としてはテストステロンが代表的です。このテストステロンの作用を持つ化学合成された薬物がたくさん存在しており、これらが蛋白同化薬として禁止されています。もちろんテストステロンそのものも禁止です。【補足1
 かつては蛋白同化ステロイドと表記されていましたが、1993年に蛋白同化薬に改められ、ステロイド以外の蛋白同化作用を持つ薬物も広く禁止されるようになりました。

ホルモン物質
 蛋白同化薬もホルモン物質ですが、ここでは成長ホルモンインスリンなどの非ステロイド系のホルモン物質を指しています。この他、赤血球を作る働きのあるエリスロポエチンなども指定されています。【補足2

ホルモン拮抗薬
 これは主に女性ホルモン(エストロジェン)の作用や合成を阻害するものです。女性ホルモンも総称で、成分としてはエストラジオールが代表的です。女性ホルモンですから男性には関係ないと思われがちですが、実は女性ホルモンは男性ホルモンから作られます。男性でも平時の女性の約25%ほどの女性ホルモンが生合成されています。この女性ホルモンの作用や生合成を阻害することによって、男性ホルモンの血中濃度や作用の減少を防ぐ目的で用いられます。

糖質コルチコイド
 副腎皮質ホルモンのひとつで、主な成分はコルチソールと呼ばれます。薬物としては、ヒドロコルチゾンプレドニゾロンデキサメタゾンなどが有名です。血糖値を上げたり、肝臓のグリコーゲンを増加させる働きがあるため競技会の時に限って禁止されています。一般にステロイド系抗炎症薬として医療に汎用されていますが、炎症の抑制は糖質コルチコイドの数ある作用の一つに過ぎません。

B.脳神経に作用して効き目のあるもの
  興奮薬
 疲労や痛み、恐怖感を感じさせなくするために用いられます。昔から海外ではアンフェタミンが「アッパー」と呼ばれて多用されてきましたが、正真正銘の覚醒剤です。これは脳をごまかして感じさせないだけで、疲労や痛みを実際に抑えているわけではありません。また実際よりも運動成績がいいと錯覚させる作用や、情緒的に攻撃性や敵対心が増す作用もあるようです2)

麻薬
 コカイン、モルヒネ、ヘロインなど、名前に聞き覚えのある正真正銘の麻薬そのものです。コカインは局所麻酔薬として、モルヒネは鎮痛薬としての薬理効果があります。ヘロインはモルヒネから作られますが、元々は鎮咳薬(咳止め)として使用されていたものです。

カンナビノイド
 カンナビノイドはあまり聞き慣れない単語ですが、つまりは大麻のことです。鎮痛・鎮静・催眠作用などの薬理効果があります。乾燥させたものはマリファナ、エキスを固めたものはハシシと呼ばれますが、どんな形状であれ、すべて禁止です。

C.薬物使用を隠すためのもの
  利尿薬
 これは尿の量を増やす効果があります。尿量を増やして、薬物を早く排泄しようとしたり、尿中の薬物濃度を下げて検査に引っ掛からないようにする目的で使用されます。禁止薬物を治療目的で正当に使用し、尿検査でも薬物濃度が基準値以下だったとしても、この利尿薬が尿中に検出されれば、治療目的とは見なされなくなります。

血漿増量物質
 代表的なものにアルブミンデキストランがあります。これらを静脈注射すると浸透圧維持のため血液への水分移動が起こり、血液量が増加します。つまり相対的に薬物濃度が低下します。またアルブミンには多くの薬物が結合するため、薬物が尿中に排泄されにくくなる効果もあります。これらは経口投与する分には問題ありませんが、静脈注射したものは隠蔽薬として位置づけられます。


 
これらの薬物はなぜ禁止されるのか
 そもそも上に挙げた薬物はなぜ禁止されるのでしょうか。その理由には、健康・倫理・社会の三つの大きな側面があります3)。それぞれの面から禁止理由をみてみましょう。

(1)選手の健康を守るため
 第一の理由はなんと言っても、薬物の副作用から選手を守るためです。薬物の作用は決して一つだけということはなく、生体内のいろんな器官や組織に及びます。一つの作用を期待して服用したとしても、投与量や投与期間によってはまったく違うところに好ましくない作用が生じることがあります。これが副作用です。1960年ローマオリンピックでアンフェタミン投与により、競技中に選手が死亡した例をはじめとして過去に薬物による死亡例は多数あります4)。死亡に至らずとも、右の写真のように、蛋白同化薬の長期服用で皮膚に炎症が生じたケースもあります5)

WIRED SCIENCE5)より引用
(2)フェアプレーの精神に反するため
 前章で触れたように、すでに世界ドーピング防止規程やアンチドーピングの国際規約が採択されており、アンチドーピングは国際的なルールになっています。競技ルールに則ってプレイすることが当たり前であるのと同様に、アンチドーピングというルールに従ってプレイしなければフェアではありません。また、薬物使用を黙認していると、「如何に薬物を上手に使うか」が競技の隠れた一要素になってしまう可能性があります。やはり競技にはルールに則って正々堂々と望みたいものです。
(3)社会的な影響が大きく、スポーツの価値を損なうため
 プロスポーツ選手や代表選手は、次世代の目標になる存在です。その選手が薬物を使用していたことがわかれば、次世代の人達に与える影響は大きく、「○○選手も使っているんだから」と、薬物使用に対する意識が安易になりかねません。また、目標にしていた選手がドーピングで選手資格を失いでもすれば、その競技に傾けていた情熱を奪うことにも繋がります。たとえ有名選手でなくとも、大人の行動は子供の心理に大きな影響を与えます。
 また、スポーツは競技成績だけに価値があるわけではなく、倫理観や連帯感などを養うという目に見えない大きな価値もあります。競技成績の向上だけを目的としているドーピングが蔓延すれば、相対的に他の重要な価値が低下してしまうことになります。

 アンチドーピング活動が広く普及するということは、つまり、より多くの競技人が日常生活における医療行為や食生活と、ドーピング違反との境界を常に意識しなければならない環境におかれるということを意味します。我々草野球人の場合でも、全軟連に加盟していれば、この章で取り上げた事項を理解し遵守する義務を負うことになります。ただし、我々が通常の草野球に興じている範囲内においてはドーピング検査を指示されることは当然ながらありません。


【補足】
(1)テストステロンは普通の状態でも尿中に検出されるため、テストステロンとほぼ同じ量存在するとされているエピテストステロンとの比率で判定します。これをT/E比(testosterone to epitestostrone ratio)といいますが、2009年5月、このT/E比は人種によって差があるのではないかという報告がなされました6)。アジア人(研究対象となったのは日本人)は白人やヒスパニック系人種に比べて、元々1/4程度なので引っ掛かりにくいということで、人種別の判定基準値を提言しているようです。

(2)血液ドーピングが初めて発覚したのは、1984年ロサンゼルスオリンピックでした。翌年には血液ドーピングが禁止項目に追加されましたが、時を同じくして、バイオテクノロジーによって安価に製造できるようになったエリスロポエチンの投与がそれに代わる手法として利用され始めました。1991年にドイツで自転車競技の選手18名がエリスロポエチンの乱用によって死亡したと報道されています7)。元々エリスロポエチンは腎性貧血の治療薬ですが、血圧が上がりやすく心臓に負担が掛かるため、使用方法が不適切であれば、いかにスポーツ心臓の持ち主といえども死に至ることもあるのです。


※次回は、(3)「日常生活とドーピングとの境界」です。

(初版2009.5.17)


【参考資料】
(1)2009年禁止表国際基準(PDF), (財)日本アンチ・ドーピング機構
(2)ザ・スポーツメディスンブック, ブックハウスHD,1982
(3)NPBアンチドーピングガイド2009, 日本野球機構オフィシャルサイト
(4)ドーピング検査の歴史, 三菱化学メディエンス株式会社
(5)Graphic Evidence Against Steroid Abuse, Brandon Keim, WIRED SCIENCE, August 25, 2008
(6)ドーピング検査に人種差を考慮した新しい基準が必要, HealthDay News 2009.03.12
(7)血液ドーピングとエリスロポエチン, 小島寛ら, 臨床スポーツ医学, vol.15, No.12, 1363-1366, 1998


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